毎度どうも、マリモッコリです。
新元号が発表されて、
まだまだ話題が尽きなさそうな
今日この頃。
「令和」は万葉集から取った
言葉ということでした。
本が売り切れる事態になっているそうですね。
「読んでわかるん?」と思った
古典が苦手な私と同じ方へ、
現代語訳という素晴らしい情報が
ありましたので、まとめました。
万葉集の「梅の花の歌」現代語訳

早速見ていきましょう!
「新版 万葉集 現代語訳付き 」
角川ソフィア文庫より。
「時に、初春の令月にして、気淑く風和く。
梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」
の部分が「令和」の出典です。
これまでの元号には中国の古典が用いられていて、
日本の古典が元号の出典とされたのは初めてだそうです!
なぜー
原文
天平二年の正月の十三日に、師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫す。しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾く、夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封ぢらえて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。
ここに、天を蓋にし地を坐にし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然自ら放し、快然自ら足る。もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を述べむ。詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。
現代語訳:
天平2年の正月の13日、師老(大伴旅人・おおとものたびと)の邸宅(太宰府)に集まって宴会を行った。
折しも、初春の佳き月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香にように匂っている。
そればかりか、明け方の山の峰には雲が行き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋をさしかけたようであり、夕方の山洞には霧が湧き起こり、鳥は霧の帳に閉じこめられながら林に飛び交っている。庭には春に生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋に来た雁が帰って行く。
そこで一同、天を屋根とし、地を座席とし、膝を近づけて盃をめぐらせる。一座の者みな恍惚として言を忘れ、雲霞の彼方に向かって、胸襟を開く。心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。
ああ文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。漢詩にも落梅の作がある。昔も今も何の違いがあろうぞ。さあ、この園梅を題として、しばし倭の歌を詠むがよい。
忠実に訳したんでしょうが、
エキサイト翻訳された英語の気分です。
要するに、
「友達の家で飲み会!
めっちゃ天気もいいし、景色最高やん。
梅きれいし、酒がうまい~
ちょっと一句詠んでや」
っていう風に解釈しました。
万葉集の内容は?
なんと全20巻あるそうです。
物語ではなく、歌集を集めて、
まとめたものだそうです!
オムニバスってやつですね。
奈良時代末期にまとめられた、
日本最古の和歌集で
4500首あまりもあるそうです。
歌人は、額田王、柿本人麻呂、
山部赤人、大伴家持など、天皇や貴族、宮廷歌人。
作者不詳の防人や農民など
さまざまな身分の人の歌もあるそうです。
メジャーもインディーズも
ひっくるめてリリースですね。
万葉集の名前の由来は?
諸説あるそうですが、
「多くの言の葉=歌を集めたもの」や、
「葉」を「世」の意味にとって「万世(よろずよ)に長く伝えるため」の歌集
という考え方があるそうです。
最後に
もはや解説なしでは読めませんが、
まぁまぁめでたい歌でした。
令和に込められた意味が素敵でしたよね~
「厳しい寒さの後に春の訪れを告げる、見事に咲き誇る梅の花のように、日本人がそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そんな日本でありたい」
これからの時代にぴったりな内容だと思います。
それぞれが大きく飛躍する年でありますように!